当寺には、檀信徒の皆さまのご先祖さま、ご縁のある方たちが眠っていらっしゃいます。さらに、お釈迦さまや観音さまをはじめとする、沢山の「みほとけたち」がお祀りされております。ご先祖さまのご供養。ふと日常を離れて心をリセットしたい時など。どうぞ沢山の「みほとけたち」に出逢いに、お気軽にお参りください。当寺は檀信徒の皆さまのみならず、地域の方々やご縁のある皆さまに、広く開かれております。また、このページでは「当寺の建物」や、「当寺に眠る主な人々」もご紹介しております。
みほとけたちのご紹介
当寺には、数多くのみほとけたちがお祀りされております。ここでは、その、おひとりおひとりをご紹介いたします。
本尊:釈迦牟尼仏
安永8(1779)年、京の仏師、駒野丹下の作。本堂の須弥壇上にお祀りされています。お釈迦さまは、今から約2500年前にインドにおいて仏教をお開きになった方です。
田名部 海辺三十三観音
当寺は、田名部 海辺三十三観音巡礼の第九・十番札所であり、聖観音菩薩が2体お祀りされております。
聖観音菩薩(田名部海辺三十三観音・九番)
江戸期の作。本堂左奥の納骨堂にお祀りされております。観音菩薩は、観世音菩薩、観自在菩薩とも呼ばれ、あまねく衆生(生きとし生けるもの)を救うため、三十三に化身すると言われております。
聖観音菩薩(田名部海辺三十三観音・十番)
江戸期の作。本堂右奥にお祀りされております。
三十三観音
江戸期の作。第一位牌堂の正面奥にお祀りされております。西国三十三観音霊場の各札所にある観世音菩薩たちを模したものです。
延命地蔵菩薩
江戸期の作。第二位牌堂の正面奥にお祀りされております。地蔵菩薩は、お釈迦様がお亡くなりになられた後、弥勒菩薩が現れるまでの間、衆生を救ってくださると言われております。この延命地蔵菩薩は、境内の地蔵堂にお祀りされておりましたが、建物の取り壊しを契機に修復され、現在の場所に安置されました。
六道地蔵菩薩
山門前の石段中腹にお祀りされている地蔵菩薩。子供の頃、右側の柱の上にある鉄製の車を回して、「天国に行くか、地獄に行くか」と占った方もおられるのではないでしょうか。この車は「後生車」といって、本来はこれを回すことによって「六道」(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)の苦難から逃れ、後生(死後)の安楽を祈ったものなのです。
賓頭盧尊(びんずるそん)
本堂正面左手前にお祀りされている、お釈迦様のお弟子さまの一人。病んでいる身体の部位を撫でると除病の功徳があると言われ、長年信仰されてきました。そのためか、鼻の頭など、お体の所々が色が変わり、つるつるとしております。
稚児観音菩薩
第一位牌堂の入り口にお祀りされている、稚児(小さなこども)に化身した観音さま。愛くるしいお顔に、亡き子を重ねられる方が多いのでしょう。また、小さなお子さんたちにも大変人気があります。いつも、お供えされたお菓子や果物に囲まれていらっしゃる稚児観音さま。今日も位牌堂に眠るご先祖さまたちを、暖かく見守っていらっしゃいます。
建物のご案内
境内には、本堂や庫裡などがあり、年中行事、仏事などの法要の他、坐禅会、地域の行事などにも利用されております。
本堂
明治15(1882)年再建。法要の他、大人数での坐禅会等の行事が行われます。こちらにはご本尊の釈迦牟尼仏(お釈迦さま)が祀られています。当寺にお参りに来られた際は、こちらからお参りなさってください。
庫裡(くり)
正面玄関
大広間
昭和58(1983)年築。 大広間(約130畳)は通夜・葬儀などの行事に利用されております。その他、ご法事の際の控え室や各種会合の会場としても利用される中広間などがございます。
第一位牌堂
正面奥には、三十三観音がお祀りされております。また、入口付近には、愛くるしいお顔をされた稚児観音もお祀りされております。
第二位牌堂
正面奥には、延命地蔵菩薩がお祀りされております。
鐘楼堂
鐘楼堂内の梵鐘は、除夜の鐘としてのほか大きな法要の前に撞かれます。鐘楼堂裏手には、下北地方に伝わる民謡「田名部おしまこ」の「田名部おしまコの 音頭取る者は 大安寺柳の 蝉の声」の一節を偲ばせる柳の木がございます。
大安寺に眠る人々
飛騨屋(武川)一族
石段手前左
初代は、飛騨国(岐阜県)益田郡において、延宝2年(1674)に生まれた武川久兵衛。27歳の時に材木商となり、大畑に飛騨屋を創業した。前期資本主義的経営を行い、蝦夷地開発も手がけ、一族は四代100年にわたり栄えた。
菊池九江一族(南部藩士)
石段左手坂道の中腹
明治初期に生きた九江(政起)は、東奥の頼山陽と称され、書家・画家として活躍した。
村林鬼工一族(近江商人)
石段向って左
村林家二代源助は号を鬼工と称し、大畑の宿老(町内の年寄役)を務めた。また、菅江真澄と交友関係があった。著書『原始謾筆風土年表』(全52巻)は、大畑や下北一円の自然や文化・歴史(1662~1848)を記録したものであり、郷土の過去を知る上で大変貴重な資料である。